アンドリュー・カーネギーの晩年

USスチールの誕生とカーネギーの慈善活動

1901年、66歳になったカーネギーは引退を考えていました。その準備として会社を一般的な株式会社化しています。銀行家のジョン・モルガンは当時のアメリカ金融業界の最重要人物で、カーネギーが非常に効率的に利益を生み出す様を見ていました。モルガンは鉄鋼業界を統一することで、コストを削減し、製品価格を下げ、大量生産し、労働賃金を上げることを想像しました。そのためにはカーネギーの会社や他の会社を買収して合併させ、無駄を排除する必要があります。1901年3月2日、モルガンらの折衝により時価総額10億ドルを越える史上初の企業USスチールが誕生しました。

チャールズ・M・シュワブが秘密裏に交渉したこの買収劇は、当時のアメリカ史上最大のものとなりました。モルガンが組織したトラストとカーネギーが手放した企業がUSスチールに組み入れられることになりました。カーネギーの会社は年間売上高の12倍、4億8千万ドルで買収されており、当時最大の個人的取引となりました。

カーネギーの保有していた総額2億2563万9000ドルの株式は、50年間5%の金価格債券と交換されました。その株式売却の契約は1901年2月26日になされています。そして3月2日、資本金14億ドル(当時のアメリカの国富の4%に相当)のUSスチールが創設されました。債券は2週間以内にニュージャージー州ホーボーケンのハドソン信託会社に運び込まれ、約2億3千万ドルぶんの債券を収めるための地下室が新たに建設されました。

ボランティアのすすめ

実業家を引退した後は、スコットランドのスキボ城を購入し、スギボ城とニューヨークを生活拠点とします。それからの人生は、公共の利益と社会的・教育的発展のために資産を使うことに捧げました。また英語の発展のため、スペル改正運動を強力に支持しました。

彼の様々な慈善活動の中でも突出しているのは、アメリカ合衆国、イギリス、他の英語圏の国々での公共図書館設置です。公共図書館はカーネギー図書館と呼ばれ、数多くの場所に建てられました。最初の図書館は1883年、故郷ダンファームリンで開館しました。彼の手法は、地元の自治体が土地と運営予算を用意できた場合だけ、建物と初期の蔵書を提供するというものだった。地元に対しては、1885年にピッツバーグに公共図書館用に50万ドルを寄付し、1886年にはアラゲイニーに音楽ホールと図書館用に25万ドルを寄付し、エディンバラにも図書館用に25万ドルを寄付した。全部で3,000弱の図書館の設立資金を提供しています。アメリカ47州、カナダ、イギリス、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、西インド諸島、フィジーにも建設されました。また、1899年にはバーミンガム大学創設資金として5万ポンドを寄付しています。

スコットランドからの移民の子が大成功したというカーネギーを「アメリカン・ドリームの体現者」だと見る人もたくさんいます。カーネギーは事業を成功させただけではなく、篤志家としても活動して、さらには植民地化された国々の民主化と独立も実現しようと努力していたからです。

カーネギーが生きていた、19世紀当時の富豪の基準をもって判断するならば、カーネギーは特に冷酷な男というわけではなく、「冷徹に利益を追求する貪欲さは十分持ち合わせている人道主義者」、ということになるでしょう。でも別の言い方をするならば(今日的な視点で見ると)、カーネギーの生活水準とカーネギーが雇っていた労働者たちや貧困者たちの生活水準は比べ物になるぐらい、ものすごい差がありました。ある伝記作家はこう言っています。「おそらくカーネギーは自分の金を分け与えることでその金を集めるためにしてきたことを正当化しようとしたのだろう」 事業を行っている中で、やはり無理はどうしても生じてきます。それを免罪すべく、儲けたお金を寄付なりすることで自分は間違っていなかった。とカーネギー自信も思いたかったのかもしれません。

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