松井秀喜の好かれるところはどんなところだろう。

松井は自分の成績よりもチームの成績にこだわるようにしている選手です。その徹底ぶりは「10打数10安打してヤンキースが優勝できないより、10打数10三振してヤンキースが勝った方がいい」 とまで、発言していたほどです。ヤンキース1年目のキャンプ中に監督のジョー・トーリが「エンドランのサインを出してもいいか?」と訊ねたところ、松井は「何でもします」と答えました。日本では50本を記録するほどのホームラン打者だったがメジャー移籍以降、ホームランが少ないことに対してもトーリは「チームのためにヒット量産に移行した」と発言しています。こうしたチーム第一の姿勢はヤンキース退団後も変わらず、結果が出ないときでも監督の信頼は揺らぐことはありませんでした。

実際松井自身も、「いい数字を残しても、チームにとってためにならない。そういう選手には、なりたくない」、「野球がもしも個人成績を全く争わないスポーツだったら?」という問いに対しても、「全然構わない。勝つためにプレーしているわけだから、勝てばそれでいい」と答えています。ポストシーズンの通算成績は56試合で打率.312、10本塁打、39打点。OPSは.933であり、キャリア通算の.852を大きく上回っている。

一方で、2003年のオフには「メジャーでも、打撃3部門のいずれかでタイトルを争えるような選手になりたい」という考えをいっていたので、高いレベルの個人成績も併せ持つ選手を目指していたといえるでしょう。究極目標としていたのは、チームがワールドシリーズを制覇した上で、それに最も貢献した選手としてMVPに選ばれることだったと考えられますが、それはあくまでタイトルは「獲得できればうれしい」という程度の位置づけであり、「タイトルを獲得しようと思って野球をしたことはありません」と語っています。

日米通算500本塁打や、二塁打日本人最多記録など、様々な個人記録を達成した2011年オフには、改めて個人記録に関する考え方を語りました。その内容は「野球の個人記録は、公平性というものがないように思うんです。球場や対戦相手など、さまざまな条件が違う中で、選手ひとりひとりが記録を争うというのは公平性にかけるような気がするし、あまり意味もないように思える。もともとチームが勝つためにやっているのに、個人の記録を比べたって仕方ないでしょう」

そんな松井秀喜をNYヤンキースで同じチームメイトとしてプレイしたジーターは、松井を高く評価しています。

選手として、天才肌ではなく努力でのし上がったジーターに自らと似た境遇を感じ、松井秀喜は尊敬の念を抱いているといいます。「ジーターともっと話したい」という理由から英会話を熱心に勉強するようになり、「同い年だけど、ジーターのリーダーシップには感心する」と語っています。主将を務めていたジーターをサポートする役割を果たしたいという思いもかなり強かったようです。。ジーターも松井に対し「マツイをサブキャプテンにするのは面白いアイディアだね」と2005年に発言しています(実際に副キャプテンのポジションはありません)。ジーターもチームの勝利を最優先にプレーしているので、2005年シーズン開幕前には、同シーズン限りでヤ軍との3年契約が切れる松井に対して、「一緒に黄金時代を築きたい」という思いを込めて松井のヤ軍残留を熱望したといいます。2006年に松井が骨折で戦線を離脱した際には、「彼の代わりは存在しない」と発言し、早期復帰を願っていました。2009年のワールドシリーズで松井がMVPを獲得した際にも、ジーターは松井の活躍を誰よりも喜び、松井も「勝てない時代もチームを引っ張ってきた彼には特別な思いがある」と語っています。

ボランティアのすすめ

個人の成績より、チームの勝利。チームのために・・!と常にプレイしていた松井秀喜が唯一こだわったのが、『連続試合出場』 です。

監督からの信頼と、自身の強い精神力が求められる連続試合出場は、2006年の故障で記録が途切れるまで、NPBで1250試合、MLBで518試合(MLBでデビュー以来518試合連続出場は、日本人選手としては歴代1位)、日米通算1768試合を数えました。『きめ細かい体調管理による安定したフィジカルコンディションがその要因』と言われていましたが、2006年の骨折後に『初めて体重計を買った』や、2007年のプレーオフ敗退時の『体調を整えるって大変なことだな。若いときはそんなこと考えもしなかったけど』という本人のコメントから推測すると、生来の身体の頑丈さが出場を続けられた一番の理由のようです。2005年には「本塁打より、むしろ連続試合出場」と話していたので、連続試合出場には並々ならぬこだわりを持ち、「遠いところからわざわざ来てくれるファンのために」という考えから、休養日にも代打や代走、守備交代でわずかな時間でも出場し、2006年の骨折まで記録を維持していました。しかし、地元ニューヨークのメディアからは「記録より、疲れた時には休んだ方がチームのためになる」と、連続試合出場に懐疑的な声が上がったこともあり、監督のジョー・トーリも「連続試合出場記録を途切らせて悪者にはなりたくないからな」と発言したこともありました。このように、連続試合出場に並々ならぬこだわりを持っていたが、2006年の骨折直後には、「心の中で怯える自分がいた」と記録がいつか途切れるかもしれないことに大きなプレッシャーを感じていたことを明かしています。それと同時に、連続出場をサポートしてくれたトーリ監督に感謝の意を示しました。骨折翌年の2007年シーズン初頭には「もう、連続試合出場記録が途切れたわけだから」というトーリの提案を受け入れて、完全休養日をとるようになりました。

前ヤンキース監督のジョー・トーリは松井の入団当初、松井を「ブンブン振り回すホームランバッター」という印象を持っていたそうですが、シーズンが終わる頃には「場面に応じたバッティングが出来る頭のいい選手だ」と評価するまでになりました。。松井もルーキーイヤーのトーリの気遣いに感謝していると語っています。入団1年目の2003年5月には松井が全く打てない時期があり、ニューヨークの新聞やオーナーのジョージ・スタインブレナーがこぞって松井を批判する中でもトーリは松井を擁護し続け、「打てなくても気にするな。守備や進塁打でも立派に貢献しているよ」と励ましの言葉をかけていたそうです。。松井は後に、スランプ脱出のきっかけをくれたのがトーリであり、トーリを信頼していたからこそアドバイスを受け入れることが出来たと語っています。(トーリは松井のことを「マツ」と呼んでいます)

松井はトーリについて、自らが寄せる信頼を繰り返し語っていました。トーリもまた、契約更改時に「世界中の金を集めてでもヤンキースは松井と契約すべきだ」との賛辞を送っています。さらに「松井はウチで最も頼れる男なんだ。彼にはいつだって責任感とかキャプテンシーを要求するよ」と断言し、ジーターと並ぶチームの精神的柱になるように求めていました。

松井のチームの勝利を最優先する献身的な姿勢については、トーリも「日本では50本塁打を打つスーパースターだったのに、こちらでは何でも嫌がらずにやってくれる」と賞賛しています。

2007年限りでトーリがヤンキースの監督を退き、ドジャースに移ってからも、信頼関係が揺らぐことはありませんでした。2008、2009年は対戦機会がありませんでしたが、エンゼルスに移籍した2010年3月のオープン戦で久々に対面。その後も、ドジャースとの対戦の際には挨拶を交わしている姿が確認できます。同年11月、松井がニューヨークで行われたトーリ主催の慈善基金パーティーに出席した際、トーリは「マツイがどのチームに行っても応援できる」と語っています。2012年に松井が現役引退を発表すると、トーリは「彼の監督だったことを誇りに思う」とコメントしています。

松井秀喜、現役引退

2012年12月28日(アメリカ時間27日)午前7時過ぎ(同午後5時過ぎ)からニューヨーク市内のホテルで緊急記者会見を開き、2012年シーズン限りで現役を引退することを明らかにしました。引退を決断した理由として、「命がけでプレーし、メジャーで力を発揮するという気持ちで10年間やってきたが結果が出なくなった」と述べ、日本球界復帰を選択しなかったことについては「10年前の日本での自分の活躍を想像するファンの期待に応える自信を持てなかった」と説明しています。。一番思い出に残っていることは「たくさんある」としながらも、「長嶋監督と二人で素振りした時間」を挙げています。。自身の引退後については「ゆっくりしながら今後のことを考えたい」という姿勢を示し、同日、巨人オーナーの白石興二郎は松井を将来的に巨人の監督として迎え入れたい意向を示し、既にヤンキースへのコーチ留学を打診したことを明らかにしています。

松井の引退を受け、数多くの球界関係者が談話を発表しました。松井の恩師である長嶋茂雄は「現代で最高のホームランバッター」と賛辞を送り、内閣官房長官の菅義偉や外務大臣の岸田文雄といった政府要人からも引退を惜しむコメントが寄せられました。

松井の引退は日本国内での速報から間もなくして米国でも報じられ、メディアやファンから引退を惜しむ声が相次いぎました。ヤンキースでチームメイトだったデレク・ジーターは球団の公式サイト上で「ヒデキは特別な存在」と惜別の言葉を贈り、ヤンキースオーナーのハル・スタインブレナーも「ヤンキースの成功に大きく貢献し、常にヤンキースファミリーの一員として愛されるだろう」と称えています。また、CBSスポーツの記者のジョン・ヘイマンは「松井はヤンキースで最も人間的に優れた人物の1人で、誰からも愛された」と賞賛し、YESネットワークの記者のジャック・カリーは「松井は私が取材した選手の中でも最高級の振る舞いをする選手だった」と絶賛しました。ニューヨーク・タイムズ紙は2ページに渡って松井の引退に関する記事を掲載しています。

松井秀喜、プレイヤーとしての評価

打撃についてはメジャー移籍後も概ね高い評価を受けています。フリーエージェント(FA)移籍の際、MLB機構とMLB選手会の労使協定に基づいて選手評価の資料として使われるPLAYER RANKINGS評価(米大リーグ公認の記録専門会社「エライアス」が過去2年間の成績を独自の算出方法で計算して得点を付けたもの)では、2003-2004シーズン、2005-2006シーズン、2007-2008シーズン のいずれもイチローらを抑えて日本人打者ではトップの評価でした。その全てで「A」ランクの高評価を受けており、ア・リーグ全体での一塁手・外野手・指名打者部門での順位は7位(2003-2004)、14位(2005-2006)、16位(2007-2008)でした。

塁打、四球、盗塁などを点数化し、選手個人の得点生産能力を測る指標である「XR(extrapolated runs)」 では、NPB在籍10年ながらNPB歴代10位につけています。しかし、渡米直前3年間と渡米後の1打席当たりXRを比較すると、リーグのレベルの違いが影響し、実に35パーセントダウンしています。攻撃力を評価する指標OPS(出塁率+長打率)は、MLB在籍7年間で通算.852を記録しており、総合打撃指標「XR27」(XRの改良版) は同7年間で6.28をマークしています。これはいずれも日本人メジャーリーガーの中ではトップの数値です。

近年、米国において普及しつつある打撃・走塁・守備を組み合わせた総合的指標「WAR」(Wins Above Replacement。同じポジションの控え選手に比べて上積みした勝利数)では、「Fangprahs」版で通算14.9(年平均1.66、キャリアハイ3.0)を記録しています。平均的なレギュラー選手では年間で2前後になるとされているため、松井はそれよりも低い評価を受けています。Fangraphs発表のWARでは守備評価においてUZRが用いられており、前述のようにUZRが低い松井はその影響を大きく受けている。WARの守備評価については、その精度を巡る議論も続いています。算出法が異なる「Baseball-Reference.com」版WARでは、通算18.6(年平均1.86、キャリアハイ4.6)となっている。2004年に記録したキャリアハイの4.6はリーグ10位の数字です。

2008年2月21日、米スポーツ専門誌『スポーティング・ニューズ』は、「成績の割りに高年俸を得ていると思われる選手」のワースト5をカテゴリ別に発表した。その中で、前年度までの契約期間が2年以下である「契約期間の短い打者」の部門で松井が2位にランクインした(1位はJ.D.ドリュー)。同誌は年俸800万ドル以上の選手のうち、前年度以前から複数年契約を結んでいる86人を抽出し、100万ドルあたりで何勝に貢献したかを査定した。その結果、松井は過去2シーズンで0.9勝分しか貢献できていないとされた(平均は1.4勝分)。同誌は、「松井はかつて『鉄人』だった」としながらも、近年は度重なる故障により出場試合数が減少していることを指摘しました。

他のプロ野球選手は松井秀喜をどのように評価しているのでしょうか。

王貞治は「アメリカで30本以上のホームランを打ったんだから、素晴らしいと思う。日本の野球界で50本打ったことと、アメリカで30本打ったことを比較する必要なんかない」「本数も中身も図抜けてすごいホームランを打っていた」と称賛しています。

長嶋茂雄は「現代で最高のホームランバッター」と評しています。

原辰徳は「強い精神力、頑健な体、そして類いまれなパワーに対しては度肝を抜かれた」と印象を語っています。

阿部慎之助は「体も大きいし打球の飛距離も群を抜いていた。重圧を見せずに黙々とプレーする姿勢に超一流選手としてのあるべき姿を見た」

上原浩治は「裏表がなく、人間的にも野球選手としても、あの人以上の選手はいないと思う」と、実力だけでなく人間性にも敬意を示しています。

佐々木主浩は「雰囲気があったし、対戦しても怖かった。他の打者とは違う、特別クラスの選手」と評しています。

清原和博は「松井以上のパワーヒッターはどこにもいなかった」と語っています。

金本知憲は2001年のインタビューで「(松井君は)目標ですね。ライバルじゃないです。彼はすごい。あのスイングといい、当たりの強さといい、あいつにはかなわん」と話しています。

「監督として指導したかった」とも語っている辛口で知られる野村克也は、ON砲以降の巨人の4番打者で松井を最も高く評価しています。残した数字は松井より高いイチローや落合博満がマスコミ嫌いで通したのに対して、松井は常にどのマスコミにも分け隔てなく対応していることも高く評価しており、「人格的にも素晴らしい」「将来は監督になれる器だ」と、辛口の野村克也とは思えないほどの絶賛です。

元チームメイトでヤンキース主将のデレク・ジーターは、「マツイはお気に入りの選手。いいスイングをしているし、好調時は手がつけられない」「彼が考えているのはチームが勝つこと。まさしくプロだ」と称賛しています。

同じくヤンキースのアレックス・ロドリゲスは「ヒデキは野球をよく知っている。打つだけではなく走塁などのレベルも高い」と評価しています。

アンディ・ペティットは「マッティ(松井の愛称)は出会ったときからずっと勝負強い選手であり続けた。とにかく勝負強いんだ」と絶賛しています。

ボビー・アブレイユは「マツイは本当に好人物で、プロフェッショナル」と松井の人柄を高く評価しています。

トリー・ハンターは、「マツイは日本の伝説の“ゴジラ”。打撃のバランスが素晴らしく、滑らかで、無理のないスイングをする。そして、左投手とチャンスにとても強い」と自分のブログで絶賛しました。

2002年に松井を獲得するように進言したヤンキースのスカウトのジョン・コックスは、同年50本塁打を放った松井の打撃だけでなく守備にも注目し、「松井は野球をよく知っていて、メンタルミスをしない」と評価していたそうです。

野球スタイルや成績はもちろんのこと、人間的にも好かれる人物であることが伝わるコメントばかりでした。

偉人になりたい人必見
福岡 税理士 当社へお任せ!どんたく会計事務所で法律のことを相談しよう!