ロックフェラーの慈善活動と名言

ロックフェラーは若いころから教会に収入の10%を寄付していたことは前述しましたが、その教会は後に米国バプテスト同盟に加入し、南北戦争後の南部での解放奴隷支援運動を推進することになりました。ロックフェラーが裕福になるに連れて寄付も増え、主に教育や公衆衛生目的だが、基礎科学や芸術目的でも寄付を行いました。Efficiency Movement の信奉者であったので、「非効率な学校、場所が悪い学校、不要な学校を助けるのは無駄である…全国的な高等教育システム増強のための浅はかな教育プロジェクトで金を浪費するくらいなら、もっと適切な我々のニーズにあった金の使い道があったはずだ」と主張していました。ロックフェラーと助言者は条件付きの寄付を考案。その条件とは、寄付者が個人的に気遣っている人々のなるべく大勢に影響するような組織を根付かせることで、そうできたならさらに注意深くその組織を観察してさらなる協力をすることになるかもしれない、というものでした。

1884年、アトランタにアフリカ系アメリカ人女性を対象とする大学創設のための資金を提供。ロックフェラーの親戚で南北戦争以前から奴隷制度廃止運動に熱心だった人の名を冠してスペルマン大学が創設されました。スペルマン大学の現存する最古の建物はロックフェラー・ホールと呼ばれています。デニソン大学をはじめとするバプテスト系の大学にも多額の寄付をしています。

シカゴ大学は元々はバプテスト系の小さな大学として存在していましたが、財政難で1886年に閉鎖されました。ロックフェラーが8000万ドルを寄付したことで、新学長ウィリアム・レイニー・ハーパーの下で1890年に世界的な大学として再出発することができました。

ロックフェラーの資金提供で1903年に創設された一般教育委員会は、アメリカ全土の様々なレベルの教育促進のための組織です。歴史的にはバプテストとの関わりが強く、特に南部の黒人教育に熱心でした。また、イェール大学、ハーバード大学、コロンビア大学、ブラウン大学、ウェルズリー大学、ヴァッサー大学といった東部の大学にも財政支援をしています。教育そのものの研究はカーネギー教育振興財団が行っており、同財団はアメリカでの医学教育に革新をもたらしたといえるでしょう。

ロックフェラー自身はホメオパシー(身体の自然治癒力を引き出す)の信奉者でしたが、牧師の助言もあって医学研究に多大な貢献をしました。1901年、ニューヨークにロックフェラー医学研究所を創設。同研究所は1965年にロックフェラー大学となり、医学以外も扱うようになりました。ロックフェラー大学の関係者から23人のノーベル賞受賞者が出ています。1909年、ロックフェラー衛生委員会を創設。同委員会はアメリカ南部の農村地帯で長年問題となっていた鉤虫症(こうつうしょう・寄生虫症の一種)の根絶に貢献しました。

1913年、ロックフェラー財団を創設。1915年に廃止された衛生委員会の後を引き継ぎつつ、対象範囲を広げました。この財団に2億5000万ドル近くを与えていて、公衆衛生、医学教育、芸術などを主な寄付対象としました。同財団は、ジョンズ・ホプキンス大学にアメリカ初の公衆衛生大学院を創設する資金を提供しました。また、中国に北京協和医学院を建設。第一次世界大戦時は戦時救護活動を支援し、労使関係を研究する部門を創設して後にカナダ首相となるウィリアム・ライアン・マッケンジー・キングをディレクターとして雇いました。1920年代には、鉤虫根絶キャンペーンを展開。このキャンペーンでは政治家や医療関係者を使い、政治と科学の両面からキャンペーンを展開しました。

ロックフェラーの4番目の大きな慈善事業として、1918年にローラ・スペルマン・ロックフェラー記念財団を創設。主に社会研究に資金提供しています。その記念財団は後にロックフェラー財団に吸収されました。ロックフェラーは総額5億5000万ドルを寄付しています。

1937年5月23日、98歳の誕生日の2カ月前の、フロリダ州オーモンド・ビーチの自宅で、動脈硬化が原因で亡くなりました。

そして、彼が、97歳で大往生を遂げたとき、新聞は「ロックフェラー氏ほど莫大な財産を賢明に使った人がこれまでいるかどうか」と称賛したといわれています。

ロックフェラーは慈善活動も多額の寄付をしましたが、自らの一族に莫大な生前贈与を行いました。その結果、一族は20世紀のアメリカで最も豊かで最も影響力を持つ一家となりました。ロックフェラーの孫デイヴィッド・ロックフェラーはチェース・マンハッタン銀行(現在はJPモルガン・チェースの一部)のCEOを20年間務め、ロックフェラーの孫ネルソン・ロックフェラーは、ジェラルド・フォード大統領の下で副大統領に就任し、もう一人の孫ウィンスロップ・ロックフェラーはアーカンソー州知事に就任しました。彼の曾孫ジョン・ロックフェラー4世は、現在民主党のアメリカ合衆国上院議員であり、かつてはウェストバージニア州知事を務めていました。

ロックフェラーが人生を詠んだ詩を残しています。

I was early taught to work as well as play,

My life has been one long, happy holiday;

Full of work and full of play-

I dropped the worry on the way-

And God was good to me everyday.

ボランティアのすすめ

ロックフェラーの名言

「事業の成功には、奇跡はない。永遠の成功は自分を信ずることだ」

「私は災難の起こるたびに、これをよい機会に変えようと努力し続けた」

「金持ちになりたい一心から出発しても成功しない。志はもっと大きく持つべきだ。ビジネスで成功する秘訣はごく平凡である。・・・日々の仕事をとどこおりなく成し遂げ、私がいつも口を酸っぱくして言っている、『商売の法則』をよく守り、頭をいつもハッキリさせておけば、成功は間違いなしである」

「事業は自分のためより、人のためにすることで出発せよ」

「金自体を目的に生きている人間ほど、哀れで卑しい存在はない」

「いかなる種類の成功にとっても粘り強さほど大切なものはない。粘り強ささえあれば、ほぼなんでも乗り越えることができる」

「快楽におぼれる人生ほど、つまらない生活は思い当たらない」

「十セントを大切にしない心が、君をボーイのままにしているんだよ」

「成功の秘訣は、あたりまえのことを、特別上手にすることだ」

「金を手にして得意がるのは、愚か者だけだ」

「金を稼げるだけ稼ぎ、維持できるだけ維持し、与えられるだけ与えるのは男の義務である」

「お金を儲けたい人達を組織してそこへ良い商品、良い情報を流せ」

「もし、あなたが成功したいのなら、踏みならされ受け入れられた成功の道を行くのではなく、新たな道を切り開きなさい」

「全ての権利は責任を、全ての機会は拘束を、全ての所有は義務を暗示する」

「私はいかなる失敗も、チャンスに変えるよう常に努力してきた」

偉人になりたい人必見